ゴリラを称えよう
ゴリラという動物がいる。
しりとりで高確率で二番目に来る、アイツだ。
リンゴから始めた場合、100人中95人はゴリラと答えるだろう。捻くれた奴はゴマやゴルフと続け、勘違いした野郎は五目ラーメンで強制終了を狙って場を白けさせる。
直接目にする機会はそれ程多いとは言えないが、動物の中ではかなりメジャーな奴だ。何か動物を挙げてと質問すれば、比較的上位に来るだろう。
類人猿だとか、ヒト科だとか、ゴリラとサルは違うとか、apeとmonkeyの違いだとか、そういう生物学的な難しいお話はどうでもいい。専門外だ。
私は以前から気になっていたことがある。このゴリラ、何故か笑いのネタになることが多い。
極端な場合、ゴリラというワードを出しただけで笑いを取れることもあるのだ。
私は過去にTRPG(サイコロと紙と鉛筆で遊ぶ、ままごと感覚のRPG)をちょっと遊んでいたのだが、友人がゴリラのキャラクターを演出したことがあった。
ちなみにそのゴリラというのが、現れた途端に弾け飛ぶという、ワケのわからない奴だったのだが、シナリオの進行が困難になるほど場が爆笑の渦に包まれたのだ。
なお、このゴリラのモデルとなったのが、私が仲間内で大昔に遊んでいた某カードゲームに出てくるモンスターで、場に出た途端自壊するというゴリラが元になっている。この出オチ感が受けたのかもしれない。
なお、今更そのカードゲームを再開する気はない。インフレや高速化の進んだカードゲームなんて、金持ちの道楽のクソゲーでしかないからだ。貧困でマイペースな私には、最早合わないのだ。
次のような、明らかに狂っているとしか思えないコピペもある。
1(中) ウホ=ホ・ホ・ホ .324 4 74
2(一) ドンクライ(泣くのはおよし)・ゴリラ.308 8 86
3(三) Gorilla gorilla(ネイティヴ・ダンス) .361 40 168
4(左) ???(動物界脊椎動物門脊椎動物亜門哺乳網サル目真猿亜目峡鼻下目ヒト上科ヒト属ヒト種 金本) .001 0 0
5(捕) 城島健司 .330 34 119 *2
6(右) ゴリリリリ・ウッホウッホ .287 25 89
7(二) スーパー・ゴリラ・キャッスル .269 25 67
8(遊) おさるのジョージ .278 21 60
9(投) ゴリラはゴリラでもゴリゴリなゴリラってバ~ナナ? 18.57 0勝104敗
333377775555年、「ウホホホ・ポコの大移動」により人類が滅亡した以降の世界では神聖ゴリラ朝ウッホホ帝国の台頭により「全てはバナナにより規定される」という一元的な価値観の下で統治が成された。
帝王であるウッホホゴリラⅣ世が提唱したゴリラ=ウホホ=バナナの三位一体改革により工業力は飛躍的に上昇し豊かな経済力と繁栄を手にしたゴリラ達は生き残っていた一人の人間(???)から野球という旧文化を取り入れ発展させていった。
帝国の威信をかけて結成された阪神は怪我とレフトの弱体により4位に終わり面目が潰れた皇帝グレゴリラウス=ウホ=バナナⅨ世は選手を処刑し「選挙権が欲しければバナナになり給え」と暴言を吐き、これに激怒した産業資本ゴリラや労働ゴリラは暴動を起こし帝政は倒れた。
なんJでおなじみの打線組んだというスレに突如挙げられたというもの。
完全な力押しだが、このコピペを初めて見たときは思わず吹き出してしまった。
今改めて見直しても、どんな脳味噌をしていればこんなぶっ飛んだことを書けるのか、疑問しかない。こんな頭のおかしいコピペに勝手に組み込まれてしまった金本さんや城島さんにとっては、いい迷惑だろう。
ところでこのコピペ、頭のネジが外れているというよりも、締めすぎて壊れてしまった感があるのは私だけだろうか。普段温厚で真面目な人間がストレスを溜めすぎて爆発し、奇行に走る様子が感じられる。
政治家が無能で、些細なことに拘る不寛容な人間が多いこのストレス社会、法に触れないように適度にバカなことをやって発散することは、全人類の必須スキルなのかもしれない。
ゴリラがネタにされるところは、そのパワープレイ的なところにある。
バカっぽいパワーモリモリな人や、力持ちだけで容姿がアレな人、戦うことしか考えていない人をゴリラに例えることがあるだろう。
悪い意味での野性的で、バカなパワーキャラが、ゴリラとして形容されているのだ。ゲームに例えるならば、腕力に極振りしている感じだろうか。
なお、ゴリラは恵まれた体格からは想像しづらいが、とても繊細で平和主義な動物である。勿論、生命の危機に瀕すれば、獰猛になるだろうが。
また、ゴリラの好物であるとされるバナナもまた、特に好んで食べているわけではない。
そもそも、野生のゴリラとバナナの分布が違うようだ。ゴリラがアフリカで、バナナがアジアという分布のため、物理的に野生のゴリラがバナナを口にすることはないのだとか。
ゴリラ=バナナのイメージがついてしまったのは、かの有名なドンキーコングの影響が大きいだろう。また、『ターザン』や『ひとまねこざる』といった作品でも、ゴリラやサルがバナナを食べる描写がある。
野生では口にしないとはいえ、飼育下においてゴリラは様々な食べ物を口にしており、その中でバナナを与えられていただけのことなのかもしれない。
また、ゴリラ=コングという言葉を連想する人も多いだろう。
しかし、これも間違いであり、『キングコング』という映画による影響で広まってしまったという経緯がある。
かつてのレア社、現在の任天堂の看板キャラの一人であるドンキーコングや、場に出た途端自壊するヤツも、ゴリラ=コングの勘違いで名づけられてしまったのかもしれない。
さて、ここでゴリラについて見直してみる。
すると、我々人間が、ゴリラに対して勝手なイメージを作り上げてしまっているという背景が見えてくる。
パワーバカやバナナ好きという、ごく一部の彼らの生活を切り取って、ゴリラのイメージを作り上げたのだ。さながら、腐敗したマスメディアのように。
某ラーメンハゲが言っていた。
「ヤツらはラーメンを食ってるんじゃない。情報を食ってるんだ!」と。
彼の発言を見て、ゴリラについて私はこう思った。
我々人間は、ゴリラそのものを笑っているのではなく、ゴリラという情報を笑っているのではないか。
考えてみてほしい。動物園のゴリラを見たところで、笑えるだろうか。
勿論、愛嬌のある仕草を微笑ましく感じることはあるだろうが、爆笑するようなことは無いだろう。
野生のゴリラの生態のドキュメンタリーをテレビなどで放送することもあるが、こちらの場合、過酷な自然で生き抜く彼ら彼女らに心を打たれるといった方が適切だ
弱肉強食の世界で、天敵に捕食されたり、同族との争いに敗れたり、密猟者によって狩られたりして、命を落とす者もいる。それを見て笑うやつがいるだろうか。
このように、ゴリラ自体には微笑ましさを覚えることはあっても、大爆笑するような要素は見当たらないのだ。
昔、ある人間がゴリラに対するイメージを勝手に作り出し、それが何年もかけて蓄積されていった。それが、現代におけるゴリラを笑いのネタにするというものにつながっていると考えられる。
動物に性格的なイメージを付与することは、全否定されるようなことではない。ただ、どうしてもゴリラに関しては、悪乗りが過ぎてそれが暴走してしまった結果と言えるだろう。
ゴリラをネタにして笑うことは、我々人間の業であり、エゴなのかもしれない。
我々はゴリラをネタにしたことを反省し、日々必死に生きるゴリラに、敬意を払う必要があるだろう。すみませんでした。